8月1日。
悪い知らせは義父の緊急な体調不良、そしてこの日に即刻入院、手術を3日に控えます。
慌てふためく私たちと家族。
義父には、水回り設備の購入において多大なる貢献を頂いております。つまり、義父の職業上のコネでもって、キッチンや風呂がべらぼうに安く買えたのです。
工事中に何度も足を運んで進行具合を見るのが楽しそうでした。
「おれが世話してやったんだぞ」という自負に満ちた父親らしい威厳を伴いながらも無邪気に工事状況を楽しむ姿を見るのは、過労と熱中症寸前の我々夫婦にとって安堵のひとときでありました。
これは心配なことになった。
妻にとってはすでにオーバーワークのレベルを超えた連日の時間的身体的過重活動に加えて、精神的過重深憂を抱えることになったのです。
はっきり言って、ふつうなら工事どころではない、引っ越し荷物どころではない、それどころか仕事どころではない、普通にしているどころではないという状況です。事態は切迫しています。
にもかかわらず工事は強制的に進展します。今は大工のまっすん達がいますが、もうしばらくすると職人が誰もいなくなります。
つまり私と妻のふたりだけで、残りの仕上げ工事、塗装、引っ越しまで完了しなくてはなりません。
ついに8月に突入してしまったのです。
ここはあたふたしている場合じゃありません。
さて8月の最初は、すでに打ち合わせ済みの左官屋さんの登場です。
ずっと話題にすらなっていない忘れ去られた1階の件です。
1階の全てが資材と廃材置き場で足の踏み場もありません。
左官屋さんが来るまでにひーひー言いながら資材や廃材を動かし、以前カウンターが付いていて床レベルが下がっている箇所の周辺を片づけます。
左官屋さんが大きな袋をいくつも持って登場、ガラを詰め込み、土を入れ、モルタルを流し込む準備を着々と進めます。
一段下がった床を上げる左官工事。ラスを置いてモルタルを流し入れ整えます。
下水マスの蓋もレベルに合わせて上げてもらいました。
蓋は綺麗にできましたが、じつはこれ、下水マス自体がかなり腐っています。このときはそこまで気が回っていません。それどころか、この後も一年間気が回っていなかったという・・
翌日の様子。
綺麗に仕上がりました。こうしてしばらく養生します。
床さえ上がれば1階は出来たも同然。いや、まだ表側が全く手つかずでした。まだまだブルーシートがかかったままです。
記事にはなっていませんが、時間の隙間を見つけてはクッションフロアの糊の跡をがりがり擦ったりしています。
2階3階に比べて、1階はまだほとんど廃工場のような状態です。
さて、面会ができるぎりぎりの時間に何とか間に合わせ、汗まみれの汚い姿のまま病室へ向かいます。義父は絶食、安静中です。
改装が完了した状態を、元気な姿で見に来ていただきたいのです。