みっけの調子が悪くなったことに気づいたのは、ふと姿を消して風呂場にいたときです。

この場所は普段はとめの場所。みっけが行くようなことはありません。
「またとめが乗り移ったか」と思ったりしましたが、どうも様子が変。
そういえば、エサを食べていない様子です。さらに便通も滞っているみたい。トイレはとめと共通なので気づかなかったんですね。便秘か?
持ち上げると体重が軽くなっていて、体温もちょっと低いことが感じ取れます。何か病気っぽい。
翌日にはさらに不可解な行動を取りだし、いつも行かない物入れの奥や3階の人気のない隙間に入り込んで隠れるようにじっと佇むんですね。
なんとなく厭な予感がしたんですが、予感どころか、これ飼い主の判断が遅すぎたんですよね。なんという愚かな飼い主。
さらに翌日の朝、血反吐を発見。またもや妙なところに隠れに行っているみっけを抱き上げて体重の軽さと低体温に背筋が凍りました。
「死ぬ」
とっさにそう思って午前中の診察に間に合うよう大急ぎで病院へ連れて行きます。
血液検査のあと、レントゲン撮って、さらにエコーまで撮って、診断が下りました。
腎臓癌の末期でした。血液にも広がっている。悪性リンパ腫。どうやら胃も。このままでは余命2日くらいだということでした。
やはり、あのまま死のうとしていたのですね。
点滴とステロイドの投与を試してみるということでそのまま入院。
黒沢作品「生きる」を観たとき以上にどういうわけかボロボロ涙が出てきて止まらなくなり慌てていろいろ検索して如何にダメな飼い主だったかを痛感しながらも、なかなか現実を受け入れられない。猫飼いって情けないですね。
時間が引き延ばされたように感じた3日間、点滴とステロイドの効果が上がることを期待して毎日様子を見に行きます。

効果は少しあったようです。小さな奇跡が起きたのでしょうか。
入院をさらに延長し、点滴、強制給餌、ステロイドで生き延びます。その間に飼い主はゆっくりながら現実を受け入れて覚悟を決めることができます。

6日間の入院の果て、今すぐ死ぬという危篤状態は脱しました。いよいよ退院です。
実際のはなし「もう二度と連れて帰れないかもしれない」と思っていたので、最後に家に帰れるだけで十分幸せかもしれません。
とめはみっけの入院中、しきりに相方を捜してにゃーにゃー言ったり飼い主にぴたりくっついて離れようとしなかったりと、それはそれで哀れな数日を過ごしており、退院は素直に喜ぶべきイベントです。

さて、低体温のため常に暖めておかねばなりません。
ずっと前から何故か捨てずに持っている中途半端なアングルラックがあります。
昔は仕事の道具の仮置き棚として、改装記ではまず始めに仮の机として登場したあのアングルラックです。
最初は仮の机として

次は板を乗せられ

最後は布を掛けられ猫ハウス置き場になったあれです。

これが役に立とうとは誰が想像したでありましょうか。
もう使っていないホットカーペットを敷き、その上にアングルを置きます。
布の片方を床まで垂らし、足りない分をビニールのシートで継ぎ足します。このビニールシートは本当に病院のカーテンで使っているあのシートです。


そして開口の部分へ向けて、ファンヒーターを緩く焚くのです。
アングルラックの内側は空気がこもってビニールハウスのようにぽかぽか。
なんという役立ちグッズ。
これが過保護ハウスです。


過保護ハウスの恩恵を最も受けるのは、たぶんとめです。
なぜか急に家が24時間体勢でぽかぽか陽気になったので幸せ一杯なんです。
すっかり小さくなったみっけですが、病院より家のほうがずっと落ち着くようです。

危篤状態は脱し、癌の進行も少し収まりました。退院していよいよ抗癌剤治療です。副作用がほとんどない軽い抗癌剤もあるようで、それを試してみるのです。
上手くいけば、癌と共存しながらもうしばらく生き続けられるかもしれない。
副作用が出たらもうお仕舞いです。
効果は2割ほどの期待だそうで、気休めと言えば気休めですが、あまりきつい抗癌剤治療には積極的になれません。
さて、それからというもの、毎日が猫の介護状態です。
薬を飲ませるコツは少し掴んできましたが、強制給餌は難しいです。量もたかがしれています。
問題は、自力でエサが食べられないことです。食べて出すという基本中の基本が出来ないとき、薬と点滴で生き延びさせて、それが果たして猫として生きていると言えるのでありましょうか。
しかしやれることはやった。父親の時でも、これほどのことはしなかった。

とめも介護の覚悟を決めてりりしく佇むのでした(ほんとはみっけ用のぬくぬくや美味しすぎる餌のおこぼれを頂戴できて幸せを感じている)
過保護ハウスの中は今日もぽかぽかです。
夕べはうちのおもしろ奥さまが半分入り込んでそのまま寝ていました。